ツアーキャディ物語「ラフ」

「ラフ」

プロゴルファーになりたい。

彼が、小学校の卒業文集にこう書いてから、十六年が経とうとしている。

ゴルフと出合ったのは小学4年生の時だった。
「始めた」といっても、タイガー・ウッズのように英才教育を受けたわけではない。当時流行っていた漫画の影響からか、ゴルフをたしなむ父親のそばで、みようみまねでクラブを握り始めた。

横山大輔。28歳。
ゴルファー見習中

ステイトファームクラシック最終日。
横山は青木功と18番グリーン上に立っていた。18番はパー5のロングホール。2打目をグリーンそばまで運び、そこからのアプローチは5メートル。5mもアプローチが残るのは、青木にとってナイスショットとはいえない。
しかし、最終日、最後のホール。今の青木の調子を考えると、ここまでこれた事を誇りに思う気持ちの方が強い。
(このパットを入れれば単独首位だ)
横山は18番グリーンの隣りに設置されているスコアボードで、青木が、トップと1打差の2位につけているのを確認した。

慎重にラインを読んでいる青木の後ろで、横山もラインを読んでいく。周りを大勢のギャラリーに囲まれている18番グリーン上は、まるで舞台のようだ。全ての目がこのパットに注がれている。
ゴルフのグリーンは、『ダンスホール』という意味も持つ。青木が最後にこの舞台でどんな演技を披露するのか、と横山は胸を躍らせる一方で、大勢のギャラリーの中から青木の妻・チエや横山の友人たちの姿を冷静に把握する事ができた。
「大輔、どこだ?」
と青木がラインを聞いてくる。
自分のラインがすでに見えているとき、青木はいつもこう横山に尋ねてくる。
ラインが出来上がっているんだな、と横山は判断し、
「フックですよね」
と答えた。
「そうだな、カップひとつくらいだろう」
と青木。
もう少し切れるかもしれないな、と心の中で思いつつも、青木のえがいているタッチをはっきり読むことができない。
「そうですね。とにかく最後です。きっちり打っていきましょう」
と青木にハッパをかけた。
青木が横山から離れると同時に、横山は周囲をゆっくりと見回し、ギャラリーをいつものように睨みつけた。
絶対に音を出すなよ、とばかりに。
ゴルフのショットは一回しかない。
やり直しがきかない。
横山がキャディーをする際に、最も神経を使い、緊張を強いられる場面の一つだ。
青木は、もう一度ラインを確認してアドレスに入った。
ゆっくりとテイクバックして、ボールは転がっていく。本当にゆっくりゆっくりと・・・。自分たちのいる世界だけがスローモーションの中で動いているようだ。
恐ろしいほどの静寂。
何の音も聞こえない。
「イサオ、GOING!」
「GO! GO!」
ギャラリーの歓声。
フラッシュの音。
横山の耳には何も入ってこなかった。

どれくらい時間が立ったのだろうか・・・。
ボールはゆっくりと柔らかな曲線を描き、「コトン」と乾いた音を立てて、吸い込まれるようにカップに入っていった。
青木のショットからカップインまでは3秒もかからなかったはずだ。しかし、横山にはその何倍もの時間がたったように感じられた。
横山が安堵のため息をつくと同時に「ウォー!」という大歓声が、舞台に響き渡った。
夢から覚めた彼は、急いで青木に駆け寄り、ハイタッチをした。
横山は、まるで自分がプレーした後のようにガッツポーズをし、こみ上げてくる涙をこらえながら青木に微笑んだ。
拍手が鳴り響く中、横山はパターをしまいながら、スコアボードで、自分たちが単独首位にたったことを改めて確認した。

横山がプロゴルファーを目指して四年が経とうとしている。そして、彼が青木のキャディーをするようになって三年が過ぎた。
試合が行われている間、食事はもちろんのこと、横山は青木とホテルの部屋も同室で多くの時間を過ごす。一週間もの間、寝食をともにし、横山はゴルフに関してはもちろんのこと、ほかにも多くのことを青木から学んできた。

環境への適応力。
アメリカは広い。
時差、飛行機での長距離の移動、気候や言葉、そして食生活、これら全てと、そしてそれに伴う疲労やストレスを克服しなければならない。日本はもちろん、アメリカでの生活・プレーは過酷を極める。
アメリカで暮らしている横山がそう感じるのだから、横山と親子ほど年が離れている青木にしてみたらその何倍もの疲労がたまるだろう。
しかし、不平を言う暇など彼らには与えられていない。彼らはそれに慣れなければいけないのだ。ゴルフ以外の生活でも自分自身を管理できてこそのプロであり、そして、それはプロフェッショナルと呼ばれる、限られた人たちに課せられた宿命なのだ。

「青木さんは、すごいよ。日本から飛行機に乗るときは日本人だけど、アメリカで降りた瞬間、『へーイ。ハワーユー?』だもん。アメリカ人になっちゃうからね。びっくりするよ。ものすごい堂々としゃべるし、暇さえあればホテルでクイズ番組見るんだ。クイズ番組ってキャプションがでるから、英語の勉強にもってこいなんだよね。寝言も、日本では日本語なのに、アメリカに来ると英語になるらしいよ。何、話してるんだろうね。残念ながら、オレ、まだ聞いた事ないんだけどね」
いたずらっ子のような表情で、横山はさらに続けた。


「日本にいるほかの選手は、青木さんは海外に行ったら、身の回りの事とか、全部周りの人にやってもらってるんだろう、って思っているかもしれないけど、青木さんは、そんなことないんだよ。洗濯はもちろん、その後、アイロンかけて、たたむのだって全部自分でするんだよ。オレと並んで二人でさ。食事だって日本食がなくても全然平気だし。日本食があったら、それにこした事はないんだけど、なくても大丈夫。食事どうしよっかなあ、ってこっちが考えてると『大輔、ピザ食べに行こう、ピザ』って。その辺は本当にすごいよ」
オリンピックや、その他の国際大会の際に、「日本食を持参してきました」とか、「日本食を食べないと力をだせない」といったコメント。また、「いつもと違う環境だったから力が出せなかった」というものまで、しばしば耳にする。しかし、青木はこういったこととは無関係らしい。
これが、青木が「世界の青木」と呼ばれる理由の一つだ、と横山は説明する。

記憶力と集中力。
ゴルファーはもちろんのこと、スポーツ選手と記憶力は切っても切れない関係にある。
野球の投手・捕手なら、相手バッターの得意、不得意な球種や癖を覚え、マラソン選手なら、数キロ毎のコースのポイントやラップ、そしてペースを頭と体に刻み込む必要がある。女子マラソンの高橋尚子が、試走でシドニーを訪れた際、一度しかコースを見ていないにもかかわらず、一キロ毎のポイントを全て覚え、その後、地図を書いてみせ、周囲の人たちを驚かせたのは有名な話である。
ゴルファーの場合、日本国内、海外。数多くのゴルフコースを回る。全てのコースを記憶しておくのは、普通に考えると不可能に近い気がする。
しかし、彼らは覚えているのだ。
頭で。そしてそれ以上に体で。
「人間電話帳」
横山は、青木のすさまじいほどの記憶力をこう表現する。
電話番号を一度聞いたら忘れない。その後、頻繁にかける番号ならそれにもうなずける。しかし、数年前に訪れた温泉旅館の電話番号もいまだに覚えているという。

ゴルフというスポーツのスタイルは、例えていうなら、陸上のフィールド競技に似ているように思う。
長時間にわたってコンディショニングを保ちつつ、それと同時に、他の選手との駆け引きを行い、適度の集中力を必要とする。
ゴルファーは試合の日、大体、一日4、5時間コース上にいる。しかし、実際にボールを打つ時間の長さは、一回のショットが10秒から20秒として、トータルすると10分から20分。その瞬間に持てる力を発揮しなければならない。適度な集中力とともに爆発的な集中力が必要な事は間違いない。ライバルのプレーを常に冷静に受け止め、自分の中の熱い気持ちを持ちつづけながらプレーする。
世界で対等に戦える選手というのは、記憶力とともに、それを持続させる集中力、そして強靭な精神力が必要なのだ。

ゴルフに対する姿勢。
毎朝、起床後の入念なストレッチ。その後のトレーニング。
「大輔、俺はねぇ、寝てるときもゴルフしてるんだよ」
横山は、この青木の言葉に、
「たまにねぇ、ゴルフのグリップしながら寝てるらしいよ。すごいよねぇ。ゴルフに対する思い。オレはまだ、そこまでゴルフのことだけ考えられない。オレもあそこまで没頭したいよ。プロの生活は、全てゴルフにつながっている。ゴルフを中心に生活が回っている」
横山は、青木のゴルフに対する徹底した姿勢に尊敬の念を抱くとともに、自身の弱い部分を将来的に克服できるのか、常に二つの考えが交錯する。

大会前に行われるコースの下見やコース上での練習は、横山にとって、格好の勉強の場となる。
「プロは時々、オレの想像もつかないようなことをする」
練習でコースに出るときには、当然のことながら、キャディー・横山よりもプレーヤーとしての彼が前面に強く出てくる。
(オレだったら、ここは高く上げて、落として、それから寄せるかな。とりあえず、それがベストだろ)
難コースの攻略に思索をめぐらす横山を尻目に、青木はボールを転がす。
(えっ、ここで転がすの?)
考えても見ないような青木のプレーに、横山は驚き、感心する。彼は、その時の心境を「Open mind」と表現する。そして、頭に、体に青木のプレーをインプットしていく。

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